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2020/05/18 14:19

 2019年末、神奈川県川崎市の新百合ヶ丘で、「創作料理 しもかわ」は26年に渡って営業を続けてきた歴史に区切りをつけた。「閉店のまでの1カ月間、あれが1番の思い出になった」、オーナーである下川晃さんは電話が鳴りやまず、回線を切りたくなった日々を懐かしんだ。あれから年が明け、「最後の舞台」として降り立ったのは東京都練馬区の大泉学園。23区内で一番緑が多いという街での再スタートは、月日が滲んだ色合いが印象的なカウンターを中心にした約7坪の店舗だ。

 

【見出し・練馬区大泉学園駅徒歩6分 うまい牛肉料理ここにあり】

 「しもかわ」の歴史には牛肉の存在を欠かすことはできない。黒毛和牛などの和牛から始まり、年間数頭しか出回らない短角・無角、そして山口県萩市三島だけで飼育される天然記念物の三島牛まで、たくさんの主人公が皿の上を彩る。「ほとんどのお客さんが初めて食べる」と晃さんは自身が惚れた食材と共に料理人人生を歩んできた。

 

 「暖かいうちが一番おいしいから、さっ、早く食べて!」、和牛の握り寿司を作ると、カウンターに座った常連たちをこう促す。「寿司屋でも、握ってすぐ食べた方が美味しいから」と笑う。新しい店舗では晃さんが立つ厨房と座席は目と鼻の先。新百合ヶ丘時代は双方が離れていたこともあり、久しぶりに訪れたお客さんとの交流を楽しむ。

 

 続いて作り始めたのは、「牛ほほ肉のワイン煮」。一頭から2カ所分しか取れない貴重な肉を晃さんは両手を頬に当てて表現した。肉を煮込んだ出汁に赤ワイン、そして徹底的に炒めた玉ねぎとトマトを約1週間かけて煮込む。途中、赤ワインを足して煮詰めていく。「一切余計な味は加えずに煮詰めていく」、晃さんの仕事スタイルは、「余分なものはそぎ落とす」、という考えが基にある。「最小限にすることで、牛肉を主人公にした料理を作りたい」、そんな思いの先にたどり着くのが、肉料理の王様、ステーキだ。一枚肉をフライパンに敷くと、一気に火を通し始めた。

 

【見出し・「100点満点」 半世紀重ねて掴んだ自信】

 料理人としての原点は「働きつつ、衣食住が全てそろった環境だったから」と話す晃さん。そんな中、牛肉をメインに扱う料理人としてのスタート地点を聞くと、「新橋での牛カツ屋立ち上げなど様々な経験を重ねてきたが、牛肉への興味や調理を学んだのは神戸での修業時代だった」と返した。市民向けのスーパーマーケットの棚でも牛肉の比率が高い本場で、鉄板を介して多くの有名人たちを相手に肉と向き合ってきた。

 

 「老舗だから、誰もが聞いたことのあるどえらい人たちがやってくる。焼き手として、お客さんに指名されてなんぼの世界。新米には焼き場に立つ機会なんてなかった。先輩らに何度もお願いを繰り返してようやく立たせてもらった」、晃さんは修業を開始した時期を回想する。しかし、「せっかく焼けても下手くそだった」と己の未熟さを感じてきた。

 

 「俺はおべっかを使うことはできないから」、焼き場やお客さんを守るため、あの手この手を駆使する同僚を横目に見つつ、晃さんは自分の性格をこう分析した。そして、「仕事をする上で、特別なことはしてこなかった。日々、やるべきことで100点満点を重ねていく。そういった経験が最終的に絶対の自信につながる」、50年ほど前、初めてお客さんからもらった2万円のチップは自信を確かなものにした。料理人に人生のレールをつないで半世紀。駆け出しの頃から今に至るまで、薄紙を重ねるように続けてきた晃さんが大切にする流儀だ。

 

【見出し・前へ進む向上心が紡ぐ「素材の味」】

 仕事への考えを確立させた一方、牛肉の知識への研鑽を重ねたのもこの時期だ。仕事への取組みが評価され、先輩や社長、牛肉の卸売り業者とも良好な関係を築いていた晃さん。「社長や仕入れ人から肉の良し悪しを教えてもらった」と振り返る。

 

 「うまい牛肉は香りが良い。悪い牛肉は脂がよくない」、ステーキの表面を焼き終え、すぐにアルミホイルで包むと、晃さんは力強く語った。同じ頃、狭い店舗は牛肉そのものの香りで満たされていた。提供まであと少し、冷蔵庫から肉塊を取り出すと長い人生で学んできた知識を披露。「ここなら、肉の説明を完璧にできる」とご満悦だ。そして十分に火が通ったのを確認すると、再び力を込めて口にした。

 

「このステーキはソースではなく、少しだけ塩を付けて、そのままかぶり付いて欲しい」

 

「素材の味を活かす」、料理人として歩んで半世紀を通して晃さんが追い求める永遠のテーマだ。長崎県の港町で生まれ育った子供時代、海に潜って自ら捕まえた魚や貝を捌いた。「塩水で洗っただけのサザエがとっても美味しかった」と振り返る。自身がオーナーとして店舗運営を始めた新百合ヶ丘の店舗では、「赤身のうまい肉」探しに奔走した。

 

 晃さんは物事を始める時、「どうしたらできるのか」と積極的に前へ進もうとする姿勢が強みだ。今でこそ信頼する生産者や問屋とのつながりを強固にしてきたが、始めはどこの馬の骨かもわからない新参者。赤身探しの旅も、生産者や品種保存会へ自ら出向いて思いを伝えた。「始めはほんのひと欠片だった」と最初の納品を振り返るが、突然現れた小さな店舗の主人が自分たちの育てた肉に向き合う姿は、生産者の心を動かして離さない。

 

【見出し・初めての街でも進化する味を求めて 75歳の挑戦】

 縁も所縁もない大泉学園では。新しい「しもかわ」の店舗作りが進む。「やってみなくちゃわからない」と、75の歳で改めて向き合うのが楽しみで仕方がない様子だ。新たに導入した調理機器も説明書を片手に、「この機械を使いこなせたら色々な料理を作れる」と意欲的だ。食だけでなく、「これは熱を風で全体に回してくれるから」と、お皿を入れて性能を確かめた。

 

もちろん、新百合ヶ丘で培ったノウハウが下地にあってこそ。「初めて新百合ヶ丘の地に立った26年前、当時はまっさらな状態を見て『身震いするほど』良い場所だと思った。当時と同じように、大泉学園でもこの場所、店の広さでどんな肉料理を提供できるのか手探りを続けたいと思う」と数席のカウンターを前に「料理を始めたあの頃のようだ」と初心に戻り再スタートを切る決意だ

 

「歳だからと言って質を変えたいとは絶対に思わない。日々続けているウエイトトレーニングも、今は80㌔が最高だけど100㌔を持ち上げてやろうと常に思っている。料理だって同じことが言えると思う。もしできなくなったら、それこそ店を閉める時だと考えている」。今後も、料理・トレーニング・そしてビールを愛する男は、己の人生に向き合い続ける。